平成24年吉野川市議会12月定例会 質問その5
それでは、最後の質問ですが
5.吉野川市(麻植郡)の歴史の記録はどうするのかを、
質問いたします。
吉野川市が誕生して、早や8年が過ぎました。
吉野川市の名前が決まるまで、合併協議会でたいへんな
議論があったと聞いております。
麻植郡の名前を残して「麻植市」にしようという声が多
数あったとも聞いておりますし、現在でも「なんで麻植
の名前を残さなんだんな」と言われることが、多々あり
ます。
麻を植えるという字は、歴史的にみても非常
に意味がある字だそうです。
ところで、旧の各町村には、歴史をつづった町史や
村史などがありますが、麻植郡の歴史をつづった麻植郡
史はあるのでしょうか?
現在、吉野川市において、「麻植郡」の歴史をしめすも
のは何があって、どのように 保管されているのかを、
まず質問させて頂きます。
A.辻内教育次長
合併8年を迎え「吉野川市」という名前も定着してまい
りましたが、議員がおっしゃる通り、麻植と言う名前は
歴史的にみて非常に意味があるものでございます。
旧の各町村には、町史や村史はあるが「麻植郡史」は
あるのかという質問ですが、麻植郡教育会で大正11年
に発行され、その後昭和48年に複製再刊された「麻植
郡史」がございます。現在、川島図書館と鴨島公民館図
書室の蔵書として持ち出し禁止扱いで図書館内での閲覧
用図書と管理している状況です。
ありがとうございました。
今年7月に剣山に登りました。その時お聞きした話では、
昔は剣山も麻植郡であったとの事。私も、木屋平村が麻
植郡であったことは知っていましたが、剣山もそうだと
は知りませんでした。もちろん私の子ども達も知りませ
んし、若い人たちはほとんど知らないのではないでしょ
うか。また、木屋平の三木家や山川の忌部神社などが関
係する、「麁服(あらたえ)」の歴史や、阿波忌部氏の
歴史的事実の継承は後年に残していかなければならない
ものだと思います。
昨年、県立川島高校の生徒が、川島高校校歌にある「忌
部の郷の丘の上に」と「蓬をただす麻として」というフ
レーズをきっかけに忌部氏に興味を持って研究し、全国
歴史フォーラムで「わがふるさと、忌部の郷を探る 徳
島県吉野川市(旧麻植郡)に継承されている忌部氏族と
『あらたえ』について」の研究発表を行い、見事優秀賞
を受賞いたしました。
私の知らない麻植郡の歴史をわかりやすく、ていねいに
論じた素晴らしい発表でした。
このような「歴史観」をもった子供達がいることは非常
に素晴らしいことだと思います。自分の住む街の歴史を
知ることは、その土地のルーツを改めて再発見する事に
もつながり、今後の街の発展のためには不可欠なことだ
と思います。
そこでお聞きしたいのですが、このような素晴らしい歴
史をもった麻植や忌部の先人たちの歴史を吉野川市とし
ては、どのような形で今後、子ども達などに継承してい
くつもりなのか、再問いたします。
A.辻内教育次長
歴史ある麻植や忌部の先人たちの歴史をどのような
形で継承するかということでございますが、先ほど申し
ました麻植郡史の中にも、麻植郡の名前のいわれや忌部
氏のことが詳しく記載されております。そうした意味に
おいても、麻植郡史は貴重な資料であり、今後も大事に
保管してまいりたいと考えております。
また、古来より天皇の代替りごとに、阿波忌部氏
が大嘗祭に際して「麁服」を献上してまいりました。今
上天皇の大嘗祭においても、忌部神社にて麁服を織り献
上しております。今回の山川庁舎整備計画の中で、展示
場を設けて、そうした資料や織り機を展示できないか検
討をいたしております。
可能であれば、貴重な資料を出来るだけ多くの方にご覧
頂くと共に、大事に保管してまいりたいと考えておりま
すし、将来的には、今後進める小中学校の再編による空
き教室を利用して、市民の皆様から提供いただきました
古民具等と併せて、一括した展示・保管に努めたいと考
えているところでございます。
ありがとうございます
吉野川市も来年には誕生して10年目を迎えるわけです
が、麻植郡の歴史を踏まえて、これからの吉野川市の歴
史を刻んで行かなければなりません。
温故知新ということばもあります。古き事柄を改めて調
べて考え、新しい道理や知識を見出し自分のものとする
という先人の教えを守り、今後の吉野川市の発展につな
げて頂きたいと思います。
そのためには、麻植郡や忌部の郷土の歴史を残す資料館
などが、ぜひとも必要と思います。視察研修で、他の市
を訪問しても、その街の歴史館や資料館は建っています。
ぜひとも、麻植歴史館や阿波忌部資料館の必要性を考え
て頂きたいと思います。
最後に、これからの吉野川市の歴史をつくる、川真田市
長の歴史に対するお考えをお伺いして、質問を終わりた
いと思います。
A.川真田市長
「吉野川市」の前身でもある「麻植郡の歴史」は非常
に大切なものであり、麻植という名前も歴史的に大変、
意味のある名称だと考えております。こうした、麻植郡
の歴史や「いわれ」は、次の世代に語り継いでいかなけ
ればならない、重要事項だと考えております。
麻植郡や忌部の郷土の歴史資料に併せて、今まで市
民の皆様から提供いただきました古民具等を大切に保存
すると共に、麻植郡の歴史の上に、新しい吉野川市の歴
史を刻んでいかなければならないと思っています。
ありがとうございました。
これで、薫風会の代表質問を終わらせて頂きます。
(議会最終日の、産業建設常任委員会の委員長報告の写真です)
それでは、最後の質問ですが
5.吉野川市(麻植郡)の歴史の記録はどうするのかを、
質問いたします。
吉野川市が誕生して、早や8年が過ぎました。
吉野川市の名前が決まるまで、合併協議会でたいへんな
議論があったと聞いております。
麻植郡の名前を残して「麻植市」にしようという声が多
数あったとも聞いておりますし、現在でも「なんで麻植
の名前を残さなんだんな」と言われることが、多々あり
ます。
麻を植えるという字は、歴史的にみても非常
に意味がある字だそうです。
ところで、旧の各町村には、歴史をつづった町史や
村史などがありますが、麻植郡の歴史をつづった麻植郡
史はあるのでしょうか?
現在、吉野川市において、「麻植郡」の歴史をしめすも
のは何があって、どのように 保管されているのかを、
まず質問させて頂きます。
A.辻内教育次長
合併8年を迎え「吉野川市」という名前も定着してまい
りましたが、議員がおっしゃる通り、麻植と言う名前は
歴史的にみて非常に意味があるものでございます。
旧の各町村には、町史や村史はあるが「麻植郡史」は
あるのかという質問ですが、麻植郡教育会で大正11年
に発行され、その後昭和48年に複製再刊された「麻植
郡史」がございます。現在、川島図書館と鴨島公民館図
書室の蔵書として持ち出し禁止扱いで図書館内での閲覧
用図書と管理している状況です。
ありがとうございました。
今年7月に剣山に登りました。その時お聞きした話では、
昔は剣山も麻植郡であったとの事。私も、木屋平村が麻
植郡であったことは知っていましたが、剣山もそうだと
は知りませんでした。もちろん私の子ども達も知りませ
んし、若い人たちはほとんど知らないのではないでしょ
うか。また、木屋平の三木家や山川の忌部神社などが関
係する、「麁服(あらたえ)」の歴史や、阿波忌部氏の
歴史的事実の継承は後年に残していかなければならない
ものだと思います。
昨年、県立川島高校の生徒が、川島高校校歌にある「忌
部の郷の丘の上に」と「蓬をただす麻として」というフ
レーズをきっかけに忌部氏に興味を持って研究し、全国
歴史フォーラムで「わがふるさと、忌部の郷を探る 徳
島県吉野川市(旧麻植郡)に継承されている忌部氏族と
『あらたえ』について」の研究発表を行い、見事優秀賞
を受賞いたしました。
私の知らない麻植郡の歴史をわかりやすく、ていねいに
論じた素晴らしい発表でした。
このような「歴史観」をもった子供達がいることは非常
に素晴らしいことだと思います。自分の住む街の歴史を
知ることは、その土地のルーツを改めて再発見する事に
もつながり、今後の街の発展のためには不可欠なことだ
と思います。
そこでお聞きしたいのですが、このような素晴らしい歴
史をもった麻植や忌部の先人たちの歴史を吉野川市とし
ては、どのような形で今後、子ども達などに継承してい
くつもりなのか、再問いたします。
A.辻内教育次長
歴史ある麻植や忌部の先人たちの歴史をどのような
形で継承するかということでございますが、先ほど申し
ました麻植郡史の中にも、麻植郡の名前のいわれや忌部
氏のことが詳しく記載されております。そうした意味に
おいても、麻植郡史は貴重な資料であり、今後も大事に
保管してまいりたいと考えております。
また、古来より天皇の代替りごとに、阿波忌部氏
が大嘗祭に際して「麁服」を献上してまいりました。今
上天皇の大嘗祭においても、忌部神社にて麁服を織り献
上しております。今回の山川庁舎整備計画の中で、展示
場を設けて、そうした資料や織り機を展示できないか検
討をいたしております。
可能であれば、貴重な資料を出来るだけ多くの方にご覧
頂くと共に、大事に保管してまいりたいと考えておりま
すし、将来的には、今後進める小中学校の再編による空
き教室を利用して、市民の皆様から提供いただきました
古民具等と併せて、一括した展示・保管に努めたいと考
えているところでございます。
ありがとうございます
吉野川市も来年には誕生して10年目を迎えるわけです
が、麻植郡の歴史を踏まえて、これからの吉野川市の歴
史を刻んで行かなければなりません。
温故知新ということばもあります。古き事柄を改めて調
べて考え、新しい道理や知識を見出し自分のものとする
という先人の教えを守り、今後の吉野川市の発展につな
げて頂きたいと思います。
そのためには、麻植郡や忌部の郷土の歴史を残す資料館
などが、ぜひとも必要と思います。視察研修で、他の市
を訪問しても、その街の歴史館や資料館は建っています。
ぜひとも、麻植歴史館や阿波忌部資料館の必要性を考え
て頂きたいと思います。
最後に、これからの吉野川市の歴史をつくる、川真田市
長の歴史に対するお考えをお伺いして、質問を終わりた
いと思います。
A.川真田市長
「吉野川市」の前身でもある「麻植郡の歴史」は非常
に大切なものであり、麻植という名前も歴史的に大変、
意味のある名称だと考えております。こうした、麻植郡
の歴史や「いわれ」は、次の世代に語り継いでいかなけ
ればならない、重要事項だと考えております。
麻植郡や忌部の郷土の歴史資料に併せて、今まで市
民の皆様から提供いただきました古民具等を大切に保存
すると共に、麻植郡の歴史の上に、新しい吉野川市の歴
史を刻んでいかなければならないと思っています。
ありがとうございました。
これで、薫風会の代表質問を終わらせて頂きます。
(議会最終日の、産業建設常任委員会の委員長報告の写真です)
今後の予定
- 11月27日 俳句の会
- 11月29日 バレーボール練習
- 11月30日 近畿至誠会
- 12月1日 NPO法人江川エコフレンド定期清掃作業
- 12月1日 鴨島地区人権フェスティバル
他 96 件